崩れゆくコンクリートに刻まれた歴史 -軍艦島上陸体験記-

九州
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こんにちは!
車なしで全国を旅する”まなてぃ”です。
実は長崎出身なのですが、『軍艦島(端島)』に初めて行きました。
「海に眠るダイヤモンド」や「進撃の巨人」など、数々の舞台にもなっています。

この記事では、実際に訪れたからこそ感じた、島での忘れられない体験と歴史をお伝えしたいと思います。

軍艦島とは

軍艦島は、かつて日本の海底炭鉱として栄えた場所です。
今では「軍艦島」として知られていますが、正式名称は「端島」です。
元々は岩礁からなる小さな島でしたが、石炭を掘るために、
島はみるみる開発され、6回の埋め立てにより今の形になったのだそう。

遠くから見ると本当に軍艦の形に見えた

東京ドーム5個分くらいの大きさのこの島に、最盛期には約5000人が住んでおり、それは当時の東京都の9倍の人口密度だったとか😳
驚きですね。

こんなにも栄えていたのに、なぜ今の「廃墟」のような姿になってしまったのか――。
それは石炭の需要が減少し、閉山。
島民たちは島を去ることを余儀なくされた
からです。

石炭を掘るために島にきて、需要がなくなったからと閉山され、島を去る…
当時の住人たちはどのような気持ちだったのだろうと少し考えてしまいました。

いざ軍艦島へ上陸

軍艦島へは長崎港からフェリーで30分ほどです。
複数の会社が船を運行しています!
私は『シーマン商会』さんを利用しました。
※事前予約必須

船に乗り込んでからワクワクがとまりません

軍艦島へは、長崎市が定めている厳しい条件(風速や波の高さなど)をクリアできないと上陸できません⚠️
しかも軍艦島を目の前にして上陸の許可が降りず、海上から見るだけになってしまうことも多々あるそう…

私が行った日はというと…
無事に上陸許可がおりました✨
ガイドさんの解説つきで、当時の様子や歴史を学びながら見学ができます。

一歩踏み入れるとそこは異世界。
石炭を運ぶベルトコンベヤーの柱(写真真ん中:ドミノのように連なっている)や
小学校(写真奥:白い建物)が当時のまま残っている。

上陸して感じたのは
――そこには人々の生活があった――
ということ。
密集した高層住宅や、学校、病院、隔離病棟など、当時の建物がそのまま残されていました。

日本で最初に建てられた鉄筋コンクリートのマンション。
崩壊が激しく、修繕もしないこととなったため、いつ崩れてもおかしくない。

驚くことに、日本で最初に鉄筋コンクリートのマンションが建てられたのは、ここ軍艦島ということ。東京じゃない!!

当時は普及率がまだまだ低かったテレビも、この島ではほんとんどの家庭に導入されていたのだとか。
いかに栄えていた島だったかがわかります。
島内にパチンコやデパート、映画館もあったのだとか。

島を囲っている塀の石は一つ一つ人の手で積み上げられたそう。
触れる世界遺産でもあります。
第二竪坑へ行くために設けられた桟橋はかろうじて残っている

驚くことは他にもあります。それは、海底炭鉱の深さです。
海面下1,000m以上に炭鉱員たちは潜っていきました。スカイツリーがすっぽり入る高さです。

↑の写真の真ん中に階段があるかと思いますが、ここは実際に炭鉱員たちが通っていました。
閉山から50年経った今でも、階段が炭の色によって黒くなっているのが見れます。

実際に訪れてみて

軍艦島全体がまるで時が止まったかのように静まり返っていました。
廃墟と化した島の風景を目の当たりにしながら、かつての賑わいと人々の生活に思いを馳せる旅は、忘れられない体験となるかと思います。
ぜひ長崎に行く際は、軍艦島へも足を運んでみてください。

ギャラリー

台風の高潮が島を襲うこともあり建物の崩壊が進んでいる。今見てる景色は次行った時見れないかも。
電線?等を通していた穴
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